趙嬰斉 / 南越明帝
南越
3代王
王朝 南越
在位期間 前122年 - 前115年
諡号 明王
生年 不詳
没年 前115年
趙嬰斉(ちょう えいせい、越:Triệu Minh Vương)は、南越の第3代王。趙昧の孫。
生涯 [編集]
紀元前135年、閩越王郢藉による南越侵攻が行われた。第2代王である趙昧は前漢に救援を要請、武帝はその要請を容れて閩越との衝突を平定するとともに中大夫厳助を派遣して戦後処理を行うと同時に、趙昧に長安に赴き武帝に朝見するように迫った。趙眜は武帝により長安に留め置かれることを恐れ、病気を口実に入朝を拒否したが、太子であった趙嬰斉を入朝させ宿衛に入れた。紀元前122年、病床の趙昧は前漢朝に対し趙嬰斉の帰国を要請、同年趙昧の薨去により趙嬰斉が王位を継承した。
趙嬰斉は長安に赴く以前、南越の妻を娶り長子の趙建徳をもうけていたが、長安で宿衛の任に就くと邯鄲樛家の娘を娶り趙興をもうけていた。南越の王位を継承した後、趙嬰斉は武帝に対し樛氏を王后に、趙興を太子とすることを上奏し、武帝もこれを許したが、立太子を巡って将来南越で発生する内紛の原因を作った。
武帝は即位後、南越にしばしば使者を派遣し、婉曲に趙嬰斉の入朝を要請した。しかし趙嬰斉は入朝後に唐法により束縛されることを嫌い、子の趙次公を長安に送り宿衛に当たらせるに留めた。
紀元前115年、趙嬰斉が病死すると、前漢は明王の諡号を贈り、太子趙興が王位を継承した。
関連項目 [編集]
南越王墓
南越国
先代:
文王
南越の王
第3代:前122年 - 前115年
次代:
哀王
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