劉隠
烈祖 劉隠
南漢
王朝 南漢
在位期間 911年
姓・諱 劉隠
諡号 襄帝
廟号 烈宗
生年 874年
没年 911年
陵墓 徳陵
劉 隠(りゅう いん)は十国・南漢の実質的な創始者。正式には皇帝として即位しておらず、節度使・南海王の地位にあった。
874年、劉謙の子として生まれる。もともと劉謙の祖父である劉安仁は南海の商人であったが、唐の混乱期に乗じて次第に頭角を現して潮州刺史に任じられた。父の劉謙は黄巣の乱討伐で功績を挙げたことから封州刺史に任じられている。黄巣の乱からしばらくして父が死去したため、後を継いで封州刺史となる。
広州で反乱が起こると、その鎮圧に貢献したことから唐の哀帝に静海軍節度使・広州静海軍節度使に任じられた。そして広東・広西に勢力を拡大し、半独立した王朝を建国した。唐が滅びて後梁が成立すると、後梁の皇帝・朱全忠に臣従して911年に南海王に任じられた。しかし直後に病に倒れて死去した。享年38。
後を弟の高祖・劉龑が継いだ。
なお、賢士・名士を好み、唐や後梁の混乱で逃れてきた多くの人材を登用し、南漢の基礎を作り上げた功績も大きかった。
宗室 [編集]
父母 [編集]
祖父:劉安仁
父:劉謙
兄弟 [編集]
弟:高祖(劉龑)
先代:
―
南漢の皇帝
次代:
劉龑
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